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にっぽん音吉漂流の記
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音吉インフォメーション
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音吉インフォメーション
山本音吉(乙吉)遺灰の帰郷について
去る2005(平成17)年2月20日(日)、故山本音吉氏の遺灰が天保3年の漂流後173年ぶりに帰国を果たしました。
1867(慶應3)年1月18日、シンガポールのシグラップ地区アーサーズ・シートにおいて50歳の生涯を閉じた故山本音吉氏(または乙吉。英語名ジョン・M・オトソン)は、翌19日にブキティマ通りにあったキリスト教徒墓地に埋葬されましたが、1970年に同墓地が都市計画によって公園へと転用された後、遺骨の移転場所は長い間不明のままとなっていました。
2004(平成16)年2月、シンガポール日本人会の杉野一夫事務局長から音吉の話を聞き、並々ならぬ関心を持つに至ったシンガポール国家土地管理局顧問のリョン・フォクメン(梁 福銘)氏は、精力的な調査の末、音吉の遺骨がチョア・チュー・カンにあるシンガポール国立墓地へ移されていることを発見されました。
早速、杉野事務局長から音吉遺骨埋葬場所発見の一報が、齋藤宏一美浜町長(音吉顕彰会会長)へもたらされ、4月26日に齋藤町長が訪星して埋葬場所を確認。同時に、当時音吉はオーチャード通りに邸宅を構えていた記録なども、上記の死亡年月日及び死亡場所の記録とともにリョン氏から提供されました。
その後11月23日、シンガポール日本人会及び同国政府観光局のご協力によって、国立墓地を所管するシンガポール環境庁から音吉遺骨の発掘許可を得ることができました。そして11月27日には齋藤町長が再度訪星し、同国立墓地タン・ビンファ所長立ち会いのもとで発掘・火葬した後、遺灰をイオ・チュー・カンの日本人墓地公園納骨堂に仮安置しました。
発掘作業に際し、音吉の冥福を祈る
発掘作業に入る
骨壺を発見
掘り出された音吉の骨壺(№ 7217)
2005(平成17)年2月17日、伊勢湾に開港した中部国際空港からシンガポールへ向かう一番機で、美浜町民を始めとする120人の訪問団が出発、翌18日には日本人墓地公園において音吉遺灰の分霊式が、日星両国関係者多数の参列のもと挙行されました。音吉の遺灰は3つに分けられ、シンガポールでは日本人墓地公園納骨堂、日本では音吉の子孫である山本家先祖代々の墓、そして遭難当時、行方不明となった宝順丸14人の乗組員のために建てられた良参寺の墓に納められることになったのです。
2005年2月18日(金)、シンガポール日本人墓地公園で挙行された音吉遺灰の分骨式。
挨拶されるシンガポール日本人会の工藤薫理事(右端)
(写真右より) シンガポール日本人会矢内利行会長、同工藤薫理事、音吉の子孫山本準治氏、齋藤宏一美浜町長
同日、シンガポール日本人会館で開催されたレセプションで、齋藤美浜町長よりリョン・フォクメン氏(左)へ感謝状を贈呈
そして2月20日、遠州灘沖での遭難後173年ぶりに帰国を果たした音吉の遺灰は、訪問団一行とともに小野浦へ到着し、地元の盛大な歓迎を受けた後、良参寺の墓に無事納められました。
2005年2月20日(日)、故郷小野浦の頌徳記念碑前で、美浜町の和太鼓グループ「鼓響」が、新曲「海嶺」で音吉の帰郷を出迎える
良参寺にある宝順丸乗組員の墓に納骨
線香を手向ける参列者の皆さん
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