江戸時代、河和水野氏は代々尾張藩に仕える武士の家系で、河和の地を治めていました。 屋敷を名古屋城下と河和に持ち、復元されたのは河和にあった屋敷の一部に当たります。 河和の屋敷は詳しい記録が残っていないので、他にどのような建物があったのかよくわかりません。しかし、一昔前まで河和の屋敷の周りに松やまきの大木がそびえ、往時の屋敷の面影を残していました。
一方、名古屋城下の屋敷の図面は残存していますが、空襲で屋敷は焼失してしまいました。 江戸時代の河和村絵図を見ると、現在の河和橋から国道沿いに天神社へ至る辺りに約五千坪の屋敷地があったようです。水野氏の屋敷は、旧河和村で「お屋敷」と呼ばれて古くから慕われていたそうです。そして、地元である河和区を始め関係者の方々の熱意とご尽力により水野屋敷記念館として復元されました。また、水野屋敷歌碑建立委員会からは、尾張藩主徳川斉荘の詠んだ歌を刻んだ歌碑が贈られました。
記念館は、和室六部屋、炊事場、便所からなっており、和室六部屋の内四部屋については公民館と同様集会やお茶会などの文化活動に利用できます。 和室二部屋については水野家に関わる収蔵品を展示しております。 |